真(ほんとう)のキリスト教 #4

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4. 第一章

創造の神について

主のご在世のときに始まったキリスト教会は、幼児期から出発して、老衰期にはいりました。

幼児期というのは、使徒たちが生きていたころです。そして悔い改めと、主なる神である救い主への信仰が、全世界にのべ伝えられました。悔い改めと信仰の二つは、『使徒行伝』のなかに記されていることからも分かります。

「ユダヤ人にもギリシャ人にも、神にたいする悔い改めと、わたしたちの主イエスにたいする信仰とを、つよく勧めてきた」(使徒20:21)。

何か月か前、主は、いまは天使となった十二弟子を呼び集め、全霊界にお遣わしになりました。これは知っておいていただきたいことです。そのときのご命令は、福音をあらたに、全霊界にのべ伝えることです。というのは、主が弟子たちを通して創設された教会は、現在その名残りをとどめないと言えるくらい、終末を迎えているのです。というのも、神であり主であるお方が、それぞれ三人格に分けられてしまう三位一体説が、信じられるようになったためです。

(2) その説は、全神学と、主のみ名をかかげている「キリスト教会」のなかに、荒れ狂った勢いで浸透していきました。

「荒れ狂った」といいましたが、それは人間の精神が、その説に惑わされ、神が一つであるか三つであるか、分からなくなってしまうほど、混乱したことです。口では一つの神と言いながら、心では三つを考えています。従って、思うことと言うこと、考えていることと話していることが、バラバラになり、これがもとで、神など存在しないとさえ、思うようになったことです。

現在、支配的な勢いをもつ自然主義は、それが原因です。よかったら試してみると分かります。口では一つだと言っても、心では三つを考えていて、その三つがいっしょになると、それぞれが他を排除しているように思えないでしょうか。そうなると、人が神について考えたとしても、「神」というコトバを発しながら、神について何も考えていないことになります。

(3)「神」とそれにまつわる概念が、このようにバラバラになってしまったため、そのバラバラを修復する目的で、わたしは創造の神、救い主、聖霊のおん働き、それに最後に、聖なる三一性 Divina Trinitas について、順序よく述べていくつもりです。

これも〈みことば〉をもとに、理性の光に照らしてみると、はっきりします。つまり聖なる三一性とは、主・神・救い主にましますイエス・キリストのうちに、ちょうど人の「霊魂」と「肉体」と「その両者からでる働き」のようなものであるということです。これはアタナシオス信条のなかにもあります。すなわち、

「キリストのうちに、神と人、神性と人間性があります。それは二者でなく、一つの人格のうちにあります。それはまた、理性的な霊魂と肉体が、ひとりの人間をなしているように、神と人がキリストにあって、一つになっていることです」。

ひとりの神について

  
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Many thanks to Arcana Press for their permission to use this translation online.