14. 代の終わりとは教会の終末のことです。主は弟子たちを前にして、それについて話されました。そのおり教会の状態が徐々に変化することを預言され、最後に次のようにいわれました。
「これらの日々の艱難があったあと、太陽は暗くなり、月はその光を放たず、星々は天から落ち、諸天の力が動揺するであろう。そのとき天に人の子の印が現れる。またそのとき地の諸民族は嘆くであろう。かれらは人の子が、大いなる権能と栄光とを伴って、天の雲に乗ってくるのを見るであろう。そして大きな声とラッパの音とともに、天使たちを遣わし、諸天界の端から端まで、四方から、みずからの選ばれた者たちを呼び集める」(マタイ24:29、30、31)。
霊的意味では、以上が、太陽と月が暗くなり、星々が天から落ち、天に主の印が現れ、人々は主が雲に乗ってこられ、また天使たちもラッパをもって来るということではありません。以上の一語一語が意味していることは、教会にかんする霊的なことです。教会の末期状態について言われています。霊的意味では、太陽が暗くなるとは、主にたいする愛のことです。月が光を放たないとは、主にたいする信仰のことです。星々が天から落ちるとは、善と真理の認識が地に落ちることです。人の子の印が天に現れるとは、神的真理が現れることです。地の諸民族が嘆くとは、信仰にかんする真理と、愛にかんする善のすべてが欠落することです。人の子が権能と栄光とを伴って天の雲に乗ってくるとは、〈みことば〉の中に主が現存し、啓示が行われることです。雲とは〈みことば〉の文字の意味です。栄光とは〈みことば〉の霊的意味です。大きな声を挙げラッパを吹く天使たちとは、神的真理が由来する天界のことです。天の端から端まで四方から、選ばれた者たちを集めるとは、新教会の愛と信仰のことです。
以上で、太陽や月が暗くなり、星々が天から落ちるのを意味しているのではないことは、預言者たちの書からも明らかです。主がこの世に来られるときの教会の状態について、同じようなことがイザヤ書の中に記されています。
「見よ、エホバの日が来る。残酷な日であり、燃える怒りの日である。諸天にある星々と星座はその輝きを放たない。太陽はその上るところで暗くなる。月はその明るさを輝かさない。わたしは地上にある悪業をおとずれる」(イザヤ24:21、23)。
ヨエル書には次のようにあります。
「エホバの日が来る。暗黒と暗闇の日である。太陽と月は黒くなる。星々はその輝きを放たない」(ヨエル3:4、15)
エゼキエル書には次のようにあります。
「わたしは天を覆い、星々を暗くする。雲をもって太陽を覆い隠す。月はその輝きを放たない。わたしは光を与えるすべてのものを覆い隠し、地上に暗闇をもたらす」 (エゼキエル32:7、8)。
エホバの日とは、主の到来のことです。主は教会の中に、何の善も真理も残らなくなり、主を認めることもなくなったとき来られました。


