天界の秘義#30

作者: エマニュエル・スウェデンボルグ

この節の研究

  
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30. 第14, 17節:

神はまた言われた、「天の広がりに光明があって、昼と夜とを分け、しるしのため、季節のため、日のため、年のため、また地の表を照らすため、天の広がりにある光明となれ」と。そのようになった。神は二つの大きな光明を造り、大きい光明に昼をつかさどらせ、小さい光明に夜をつかさどらせ、また星々を造られた。神はこれらを天の広がりに置かれたが、それは地を照らさせ、

「大きな光明」とは何かは、まず信仰の本質は何か、新しく造られる人の信仰の前進とは何かを知らなくては、十分理解できません。その本質、または信仰の〈いのち〉とは、主おひとりです。主を信じない人は、〈いのち〉をもつことができません。ヨハネ福音書で、主は言われます。

「子を信じる者は、永遠の〈いのち〉をもつ。子を信じない者は、〈いのち〉をもつことはなく、神の怒りがその人の上に留まる」(ヨハネ 3:36)。

② 新しく造られる人たちの信仰には、次のような進展があります。まず何の〈いのち〉もない状態です。〈いのち〉は、悪と偽りの中にはなく、善と真理の中にしかありません。信仰をとおして主から〈いのち〉をいただきます。最初は、科学知的な信仰でしかない記憶の信仰により、それから理知的な信仰である理解の信仰により、最後には、愛の信仰または救いの信仰である心の信仰によって、〈いのち〉をいただきます。

科学知的・理知的信仰は、第3節から13節までにあるように、魂のない生物で表されます。愛によって活性化された信仰は、第20節から25節までにあるように、魂のある生物で表されます。ここで初めて愛が取り上げられ、それから信仰が取り上げられます。それが「二つの光明」です。昼間を司(つかさど)る大きいほうの光明は愛であり、夜を司る小さいほうの光明は信仰です。この二つは行動を一つにします。ですから「光明」と複数形になっていながらでなく、単数形でとなっています。

③ 物体的な外部が、熱と光に対応しているように、内部人間は、愛と信仰に対応し、愛と信仰の表象になります。だからこそ二つの光明は、諸天の広がりの中、すなわち内部人間の中に、位置するものと記されています。大きい方の光明は、人の意志にあり、小さい方の光明は、人の理性にあります。ただこの二つは、ちょうど太陽の光が事物の中に見えてくるのと同様、意志と理性の中にだけ見えてきます。愛によって意志を感化し、信仰によって理性を感化するのは、主の慈しみでしかありません。

  
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Many thanks to Arcana Press for their permission to use this translation online.