1066. 「全地はかれらから出て広がった」とは、真実なもの、偽りのものを含め、すべての教義は、そこから派生したという意味で、それは「地」の意味から分かります。〈みことば〉での「地」には、多様な意味がありますが、普遍的な意味では、教会が存在し、また存在した場所または地域です。カナンの地、ユダの地、イスラエルの地などは、普遍的に教会全体をあらわします。また一般の会話で知られているように、教会に属する人にも使います。
それで古代にあっては、「全地」というと全世界のことではなく、教会が存在する所か、教会それ自身を意味しました。次のような〈みことば〉があります。イザヤ書によります。
「エホバは地を空き地にされる。・・・地はそれで空き地になる。・・・地は嘆き、あわてふためく。・・・地はその住民の下で汚される。・・・そのため呪いは地を食い尽くす。・・・それで地の住民は焼かれ、僅かの者が残る。・・・高みから天蓋は開かれ、地の基礎は動いた。地は砕け、地は裂け、地は揺らぎ動いた。地は、酔っぱらいのように、よろめいた。小屋のようにあちこち揺れた。地上におけるその不義は重く、倒れ、立ち上がることはない」(イザヤ 24:1・3-6, 18-21)。
「地」とは、その場所にいる民、とりわけ教会の民を表し、結局、教会と教会に属する荒れ果てた人々を指しています。荒廃の様相を表すため、「空き地になる、動かされる、酔いどれのようによろめく、揺らぎ動く、倒れ、立ち上がれない」のような述語を使っています。
② 「地」とは人を意味しますから、結局、人のいる教会です。マラキ書には、次のようにあります。
「すべての民族は、あなた方を幸いと宣べ伝える。あなた方は祝された地であるから」(マラキ 3:12)。
上掲での「地」は、教会を意味します。イザヤ書には、次のようにあります。
「あなた方は、地の基のことを分かっているのか」(イザヤ 40:21)。
「地の基」とは、教会の基を指しています。同じく、
「見よ、わたしは新しい諸天界と、新しい地を創造する」(イザヤ 65:17; 66:22、黙示録 21:1)。
「新しい諸天界と新しい地」とは、主のみ国と教会を意味します。ゼカリヤ書には、次のようにあります。
「エホバは天界を広げ、地の基を置かれ、その真中に人の霊を形づくられる」(ゼカリヤ 12:1)。
教会を意味します。それと同じく、
「始めに、神は天と地を創造された」(創世記 1:1)。
「天と地は完了した」(創世記 2:1)。
「これが天地誕生の由来である」(創世記 2:4)。
以上のいずれも、創造され、形成され、造り上げられた教会を指しています。
「主のみ前で、地は揺れ動き、天は慄(おのの)き、太陽と月は黒くなった」(ヨエル 2:10)。
以上も、教会と教会に属する人たちを指しています。荒廃に陥るさい、「天地は揺れ動き、月は暗くなる」と言われますが、これは愛と信仰です。
③ エレミヤ書には、次のようにあります。
「わたしは地を見たが、見よ、うつろでむなしかった。天を見上げたが、そこには光がなかった」(エレミヤ 4:23)。
上掲での「地」は、教会らしいものが何もない人間を指しています。同じく、
「全地は荒れ果てる。わたしは終末をもたらさない。そのため地は嘆く。天は暗くなる」(エレミヤ 4:27, 28)。
上掲も同じく、教会について語っています。「地」とはその教会の外部にあるものですが、「天」は内部にあるもので、「暗くなり、光はない」と修飾されています。善を味わい知ることも、真理を悟ることもないため、地は「うつろで空しく」なります。同じように、いずれ教会になる教会人にも当てはまります。「全地」とは、他の箇所では、教会だけの意味で使われます。ダニエル書には、次のようにあります。
「第四のケモノは地の第四王国になる。その王国は、他のすべての王国から分かれ、全地を食い尽くし、地を踏みつけ、打ち砕く」(ダニエル 7:23)。
「全地」は、教会と、教会に属する人たちです。〈みことば〉では、涜聖的な記録になるため、独裁者的国王の権限については触れません。むしろ教会の聖なるものや状態について記します。「地の諸王国」とは、教会の状態を表します。
④ エレミヤ書には、次のようにあります。
「地の両脇から、大きな嵐が起こされる。その日には、地の果てから地の果てにいたるまで、エホバによってかれらは殺される」(エレミヤ 25:32, 33)。
「地の果てから、地の果てまで」とは、教会と、教会に属するすべてを表します。イザヤ書には、次のようにあります。
「全地は休まり、鎮まった。かれらは喜びの声を上げた」(イザヤ 14:7)。
「全地」とは教会を意味します。エゼキエル書には、次のようにあります。
「全地が喜ぶように」(エゼキエル 35:14)。
「全地」とは、教会を意味します。イザヤ書には、次のようにあります。
「わたしは、ノアの水を、ふたたび地上に流すことはないと誓った」(イザヤ 54:9)。
上掲では、「地」は教会を指します。教会がテーマだからです。地は、〈みことば〉で教会を指しますが、教会でないものも指します。それはこの種の単語には、みな反対の意味があるからです。例えば、諸民族の多種多様な地とは、おおむねカナンの地以外のすべての地を言います。したがって「地」は民の意味、教会外の人の意味でもあります。さらに外部人間を表し、外部人間の意志、エゴ、その他を含めることもあります。
⑤ 〈みことば〉の中で、「地」という言葉が、その有無はさておき、教会の状態から見た全人類を指さないで、地球全土を意味することが、たまにあります。そして「地」は、教会でもある「土」を含意しており、「土」は「野」を含意しています。そのため単語の意味は、それに含まれていますから、沢山あるわけです。しかし何を意味するかは、テーマとなって述語を要求する主語、つまりもの自体で判別できます。
それでここで言う「全地は、ノアの息子たちから出て広がった」が地球全体とか全人類の意味ではなく、諸教会が信奉していた真実の教義、または偽りの教義を含め、あらゆる教義を指していることが分かります。


